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完璧ですね これはいただけません

独りの部屋

 ただいま。そう小声で呟く。手には帰り道買った惣菜の袋。それを持っていない方の手で照明を点ける。
 台所と一間、それと小さな風呂が付いた狭い部屋は、朝方慌てて飛び出した状態でその温度を失っている。
 なんとも、寂しい。
 別に家財が少ないからそう感じるのでは無い。きっとこの部屋には寂しさの化身みたいなモノが住み着いているのだ。
 灯火。行き先を示すもの。私の人生のそれは遠い昔に失われた。己で考え決断し、その結果を受け止めること。ごく当たり前のことが私には難しかった。私は独りになったその時から、ただ生きてるだけになった。
 辛い。そう小声で呟く。
 自分独りだけの部屋。もとい人生。
 その言葉を聞くものは、己以外他無いのに。

行き先は平等に暗黒

 この道は、歩き慣れた馴染みのそれではありますが、皆さんが想像するものとは少し違います。
 真っ暗なこともそうですが、眼前に立ち込める分厚い緞帳の様な霧が私の視界を奪うのです。少しの見通しもききません。
 その緞帳が私に問いかけます。行き先が分からなくて不安ではないかと。私は不安ですと素直に答えます。変に見栄を張るのは嫌なのです。
 行き先が分からないことは確かに恐怖です。しかし私はそれでも向かいます。行き先不明のまま。霧の向こうへと。過去から未来へと。可能性をすり潰し、前へと進みます。
 道を踏み外し此処より更に深い暗闇に落ちることになろうとも、私は進み続ける。

 それが生きる、ということではないでしょうか。

秋の夕暮れ、 君の声

 季節はすっかり秋。最近といえば陽が落ちるのが以前に比べ早くなった。真っ赤に染まる夕陽を見ていると何故だか寂しい。そのような感覚もこの季節らしいなと感じる。
 今描いている油絵が仕上がったら秋の風景を描いてみるのも良いかもしれない。
 「食欲の秋だね、お腹が空いたよ」
 幼馴染の彼はお腹をぐうぐう鳴らしながらそう言う。
 人がせっかく感傷に浸っていると言うのにぶち壊しだ。本当に困りものだ。
 そう思っていると、一際大きな音が私から。
 「お腹減ったの?」
 余計なことを聞かれ恥ずかしくて仕方が無くなる。きっと今、私の顔は夕陽と同じく真っ赤になってるだろう。
 そんな顔を彼に見せまいと、私は彼から顔を背け、歩みを早めた。

見初められた姉

 朱色に染まる空に藍と黒が混ざる。夜が星達を連れ、一歩また一歩と世界に近づくたび、昼は太陽と共に此処から遠ざかって行く。
 この頃はこの時分になると少し肌寒く感じる。気温も先月に比べると大きく下がったと聞く。この調子だと、あっという間に冬が来るだろう。
 「ねえ、今日の夕飯はどうしましょうか?」
 そうだな、この季節何を食べても美味いだろうが……今日は旬の魚でも買って帰ろうか。
 僕がそう言うと、君は嬉しそうな顔をする。
 彼女は。双子の姉は小さい時に神隠しに遭った。収穫祭の日、神社の鳥居の前で彼女は身体を持っていかれた。
 西陽を受け僕達の影が伸びている。人の影に猫の影。
 姉はあの日からずっと猫として生きている。

葬頭河

 朝靄の中、対岸がはっきりと見えない河原に、私は一人突っ立っていました。

 何処と無く寂しさの漂う景色を眺めながら、何故こんな場所にいるのだろうと呆けていると、靄の中から一艘の小舟がゆらゆらと向かってきます。

 近くの岸に舟を停めた船頭の喉が音を出します。

 「六文」

 私は迷いのない動作で懐からそれを彼に渡すと、代わりに差し出された手を取り小舟に乗り込みます。

 何か大事なことを忘れているような。

 小舟はゆらゆらと今いた岸を離れ対岸に向かって行きます。

 多くを忘れてしまった私は、導かれるままその流れに身を委ねます。

 帰れず、還り、孵らんとする。

 それが自然の理ならば抗うことは叶いません。私はただそれに従うしか無いのです。

君の墓前、夕暮れ、約束の糸

 目の前の風景が紅く染まる頃。
 僕は今日、若くして鬼籍に入った友人の墓参りに来ている。
 彼は何かと病気しがちで、体調が優れないと〝俺の恋人を大切にしてやってくれ〟とそんなことばかり言っていた。
 本当に、勝手な奴だ。
 僕はといえば、その言葉を律儀に守り、彼女と家庭を築き、子を授かった。
 友人との約束を守る為の行いだったが、この歳になるとそれも案外悪くなかったなと思える。
 僕は、彼のことが好きだった。
 彼の言葉通りに彼女と関係を築いた僕は、彼が生きていては得られなかったであろう絆を手に入れた。
 それは一生を掛けて果たす〝約束〟という名の糸。
 僕達は此岸と彼岸にいながら、それで硬く結ばれているのだと、そう思うのだ。

俺たちは縁起が悪い

 俺の名はカラス。人間が俺のことをそう呼んでいると知ってから、俺もそのように名告っている。自分が何者かを他の動物に容易に覚えて貰えるというのは、何かと都合が良い。
 今日はクロネコの住処に遊びに行く。クロネコという名も俺が付けた。人間が呼ぶのを真似しただけだが、そう呼ぶようになってからは、話す機会が増えたと思う。人間の考えた『名前』というのも中々に有用だ。
 「よお、クロネコさん。元気にしているか」
 「ぼちぼちだな。カラスの方はどうだ。お前さんが来たということは何か面白い話を持って来たか。しょーもない話は勘弁してくれよ」
 クロネコはいつも通りだ。気怠い雰囲気を崩さないが、きっと嫌ではないだろう。人間風に言うとツンデレなのだ。意味はよく知らないが。
 「しょーもないかはクロネコさん次第だな。俺も詳しくは知らんのだが。なんでも、俺らは人間にとって縁起の悪い存在らしい。横切ったり、目があったりすると人は怖がる。不幸が起こるって」
 「ほお、それはすごいな。カラスはそんなことが出来るのか」
 クロネコは普段から大きな目を更に大きくして尋ねてくる。いやいや、そうじゃない。
 「いや、俺はクロネコさんが呪いみたいなことが出来るのかと思って聞きに来たんだけど……」
 ああ、時々あるのだが、またこのパターンだ。
 「前もあったよな。ツバメだっけか?低く飛ぶと雨が降るとか何とか。一緒に聞きに行ったろ。カラスは覚えているか」
 覚えているとも。そのことに関してツバメは、雨の日は何となく低く飛んでしまうなどと言っていた気がする。今回もそれと似たようなものだろう。
 「呪いか。人間を不幸にするくらいなら、空から食べ物が降ってくるようにするな。呪って不幸にしても腹は満たされん」
 全くその通りだ。人間は賢いし尊敬するが、根拠の無い出鱈目も本気で言う。俺たちが人間を呪ってどうなるのだろうか。人を呪って不幸にすることよりも、明日食べる物のことや、天気のことの方が大事だ。
 クロネコが空を見上げたので、それに倣ってみる。今日の空は真っ青で、数える程の小さな白い雲がそこに寝転がっている。
 「クロネコさん、明日は晴れるかな」
 「さあな、俺に聞くな。そういやさっき、ツバメのやつが低く飛んでたぞ。そうだな、明日はきっと晴れるだろう」
 クロネコは心底嬉しそうに、ニヤニヤしながら言った。皮肉が過ぎるなと思いながらも、クロネコと同じく天気が崩れることは無いだろうなと、そう思った。